宮崎直送の国産グレープフルーツ&日向夏!チャレンジ続ける4代目柑橘農家の“突破力”に迫る
宮崎県日南市で代々続く柑橘農家「緑の里りょうくん」の田中良一(たなかりょういち)さん。宮家に献上していたこともある由緒正しき農家さんが「突破力」で挑んできた、様々なチャレンジについてお伺いしました。
市場開拓!農家で直接市場に出荷
―田中さんはどうして柑橘農家に?
実家が宮崎県日南市で代々続く柑橘農家だったのですが、どちらかというと自分から農家になりたくてなったというわけではないんです。
当時は農家ではなく、教員になりたいと思っていました。母が教員をしており、僕自身も人に教えるということが好きだったからです。そこで、宮崎から東京の大学に進学しました。
ただ、当時は自分にその職業が合うか合わないかは別として、“家業を継ぐのが真っ当な人”と考える時代だったと思います。
僕も長男だったし、実家は約90年前には宮家にみかんを献上していたといういわれのある農家だったこともあり、やっぱり跡を継がないといけないんだろうなぁ、と。最終的に宮崎へ帰り、実家の柑橘農家を継ぐことにしました。
自発的に帰ったというわけではなかったのですが、父親は「よく戻ってきてくれたな」と思っていたらしいんですよ。僕には直接言わなかったんですけど、僕が帰ってきて10年ほど経った頃に、周りの人にはそう言っていたみたいです。
―お父さんからの教えで、守り続けていることは?
技術的なこととは別に、「実際に農家が収入を得られる道」として、うち(農家)から市場へ直接ミカンを出荷するルートを作ることですね。
40年~50年前は、農家が市場へ直接出荷するということはほとんどありませんでした。だから、それを快く思わない人もいたんです。
僕が宮崎の市場までミカンを運ぶ途中、日南海岸入口にゲートを作られて嫌がらせを受けたこともありました(笑)。でも、最初はうちだけだったのが、周りの農家さんにも少しずつ協力してもらうようになり、宮崎の市場から東京へミカンが行くようになって、宮崎のミカンが広く知られるようになったんです。
―その後は、どうなった?
東京で宮崎のミカンが美味しいと評判になり、農家で直接市場に出荷していた僕の元へ、九州各県から宮崎のミカンを取り扱いたいという青果業者さんが来られるようになりました。うちだけでは対処しきれないので生産者のグループを作って、Aさんグループは鹿児島に出しましょう、Bさんグループは長崎に出しましょうというふうに近隣の柑橘農家全体が発展していきました。出荷先が決まっているので、その頃はみんな喜んでミカンの畑を開墾して植えましたね。どんどんミカン畑が増えていって、もう本当に高度経済成長の真っ只中のようでした。あれはもう一番すごかったなと思います。
農家が直接市場に出荷をしてその内評判になり、そして生産者グループを作って出荷するようになる。僕はこれが一つの突破力だったと思っているんです。
この突破力で、親父も言っていた「実際に農家が収入を得られる道」を開けたんじゃないでしょうか。
自分で作ったものだから、値段も自分が決めたい
―お父さんまでの時代と変えたことは?
ミカンだと今では9月頃から翌年の6月頃まで、年中ほぼずっとありますが、父親の時代は9月から12月に出荷する温州ミカンだけでした。それから僕の時代になって、温州ミカンだけでなく日向夏やレモンなども作るようになり、段々と5~6月まで出荷できるようになったということが変わりましたね。
―それにつれて、忙しくなっていったのでは?
最初の頃は、年中仕事が出来るようになればいいなと思っていましたが、最近は2か月ほど夏休みが欲しいなと思います。8月の炎天下に仕事するのは、人間らしくないなと思って。
若い頃はカッコ良く「晴耕雨読」と思っていたのですが、これが事業になるとそうは言っていられません。
仕事人間になっちゃって、良くないんでしょうけど。もう戻せないです(笑)。
―そこまでして、田中さんのやりたいこととは?
一次産業は農業も水産業も自分で値段が決められないじゃないですか。僕は自分で作ったものに自分で値段を決めたかったんです。約10年前から、自分で採算が合うような値段設定をして販売しています。その次の希望として、柑橘の加工事業を取り入れようと思い、取り組み始めました。
農家の総収入の6割~7割ほどを加工品の売上にし、残った3割~4割ほどを生果の売上にすると、天候が読みにくく農業にリスクのある時代でも一次産業として成り立っていくのかなと思ってます。
まさかの国産グレープフルーツ
―国産では少ないグレープフルーツを、なぜ作ろうと?
僕の先輩たちの時代から、静岡県や長崎県などには国の果樹試験場があり、当時もそこでグレープフルーツの樹は育てられていたそうです。ただ、寒かったんでしょうね。先輩たちは「花も咲かない」と聞いていたそうです。花が咲かなければ、実は実りません。
―「花も咲かない」と言われていたものを、なぜ作ろうと?
神のお告げがあったんじゃないですかね(笑)。
農園にいらっしゃった方とお話ししている時に、この宮崎は50年前の屋久島の気候だと言われたんです。それだけ昔と比べて暖かくなっているんでしょうね。だったら、グレープフルーツでも花が咲くんじゃないかと思い、作り始めてみたんです。
―おすすめの食べ方は?
添加物や農薬をできるだけ使用せずに作っているので、出来る方は実はもちろん、皮も食べて頂きたいですね。
農園にはシェフなどいろんな方がいらっしゃるのですが、輸入されたグレープフルーツだと2回湯煎をしても化学薬品の匂いが取れないと仰るんです。ところが、うちのは大丈夫と言われました。
―グレープフルーツの皮って、どうやって食べるの?
マーマレードにされる方が多いみたいですね。後は、シロップ漬けにするとか。オランジェットといって、皮を砂糖漬けにしたものにチョコレートをかけたものもあるそうです。フランスのお菓子らしいですよ。
―グレープフルーツのジュースも作られている?
はい。うちの他の柑橘もそうですが、生果で出荷するのは全体の3割ほどで、残り7割ほどは加工品にしています。
グレープフルーツジュースは瑞々しい爽やかな味わいで、飲んで頂いた方には「まるで果実を食べているかのようなジューシーさがある」とよく言われます。今後、ジュースは増やしたいなと思っているところです。
宮崎の名産 日向夏(ひゅうがなつ)
―日向夏とは、どんなもの?
日向夏はもともと約200年前に宮崎で生まれた品種で、春先に酸味と爽やかな味わいを楽しめる柑橘です。爽やかさでいうと、レモンが少しそれに近いですが、春の終わりから夏にかけて、日向夏のような爽やかな柑橘系の果物はないですもんね。ただ残念なことに、関東から北の方ではあまり知られていないようです。
―もう少し詳しく教えてください
それと、日向夏は中の白い“ワタ”がポイントです。普通は中の実を食べるので、ワタを食べる果物は少ないですよね。食べて頂ければ分かると思うんですけど、中の日向夏の実より白皮の方が美味いんですよ。ぜひ白皮を食べてもらいたいです。
―田中さんは2種類の日向夏を作られていますよね?
先に収穫するのが「西内小夏」という日向夏で、温州ミカンのように自然に実がなるんですよ。作りやすい品種で助かっています。
後に収穫する「恋する日向夏」は在来種の日向夏で、その甘酸っぱさから私が名前をつけました。西内小夏とは対照的にこちらは栽培が難しく、花が100個開いても全部が自然には実にならないんです。だから、ひと花ひと花、手作業で花粉をつけていきます。それを行うと着果率が約90パーセントと良くなります。言い換えると、そうしないとほとんど実がならないんですよ。
全国的にも手作業で授粉をするところは少ないです。というのも、何万個取るか分からないほどたくさんの花を1個1個取ってきて、それからまた1個1個授粉するので、とにかく手間がかかるからです。それで、作る農家が段々減っているんですよ。
―西内小夏と恋する日向夏では、味も違うのですか?
西内小夏は、甘みの中に酸味もしっかり感じられる爽やかな味わいです。皆さんの知っている日向夏の味はこちらかと思います。
恋する日向夏は、酸味はほのかに感じられる程度で、とにかく甘いですね。糖度も高いです。一般的な日向夏が糖度9~10度ほどなのに対して、うちの恋する日向夏は糖度13度を記録したこともあるくらいです。
恐らく、「西内小夏」を食べた後に「恋する日向夏」を食べたら、「これが同じ日向夏?」という疑問が浮かぶほど違うと思います。
「恋する日向夏」という名前をつける時に、名前から“日向夏”を外した方がいいんじゃないかって言われたんですよ。それぐらい味には差があります。
過去最高の完成度だったのに…3週連続で台風
―田中さんが今までで一番大変だったことは?
15~16年前、僕が30年~40年で一番いいものを作ったという年に、3週連続で台風が来てダメになってしまい、90%以上所得がなくなったことですね。
―90%以上も!?
その時、「美味しいものほど傷みやすい」ということを感じました。そのような経験もあり、ある程度、柑橘の加工なども取り入れていかないといけないんだろうなと思いました。あの時はほんと、こたえましたね。
農産物のあるべき姿に規格を合わせていく
―他にも、大変だったことはいろいろ?
僕たちも50年近く農業をしていると、いろいろ経験してきたんですよね。例えば、昔の農薬はものすごく強くて殺虫剤でもあるし人間も傷むというような薬だったので、自分たちがかぶれたこともありました。それが段々ここ20年ぐらいの世の中は、人間・地球に優しくという流れじゃないですか。この流れから見て、もう農薬などはあまり使わない時代が来るだろうと思いますね。
―田中さんも農薬削減の取り組みをされている?
そうですね。農薬をできるだけ使わずに作っています。
でも、そうすることでミツバチなど虫によって外皮に傷がつくなど、僕の作る柑橘は見た目がいまひとつなのもあります。
農産物の中でも特に果物は、嗜好品としてデパートの売り場の中で、一番いい所にキレイなものを置く、というのが目指すべき姿・あるべき姿のように思われていますし、どちらかというと、作る農家もそれを目指す作り方をしていますよね。
僕は、そういったキレイな外観の農産物を目指すのは、今の時代に合わないなと思っています。やっぱり、農産物は自然のものです。それを人間が勝手に決めた、人間の方の規格に合わせようとしていることに違和感があるんですよね。
―人間の方の規格に合わせるとは?
例えば、きゅうりの場合、本来は曲がっているものを曲がらないようにして、まっすぐに作ろうとするじゃないですか。あれは、人間の規格にきゅうりを、野菜を合わせようとしているんです。でも僕は、自然にあるものだから自然のままの方に、農産物の方に規格を近づけようと思っています。人間の方に規格を合わせようとするからおかしくなるんです。
農産物のあるべき姿に規格を合わせていく。それをやっていかない限り、一次産業というのはコストだけ増えてなかなか経営が成り立たないんじゃないかなという気がします。
―農薬を減らしてみて、どうでしたか?
それはもう、農薬を減らせばいっぱい害が出ます。最初はやっぱり、それを受け入れてくれるところはなかなか少なかったですね。特に果物には“あるべき姿はこうである”という考えを皆さん植え付けられているので、それ以外のものはやっぱり嫌われます。
―逆に農薬を減らして良かったことは?
最初の2~3年は害が出ますが、毎年害虫の“天敵”も増えて、害虫が一定以上増えていない気がします。
後は、作業とコストが減ることですね。その分、違う仕事が出来るようになります。
農業が生き残るために
―これからの田中さんの展望は?
うちみたいに農薬を減らす栽培方法では、生果だけではなくて形の違った販売も必要だろうと思います。
ミカンの消費量が減っていると言われますが、消費量が減ったのではなくて、人間の口に入るミカンの形が変わっているのではないでしょうか。ジュースやお菓子のような加工品になっているとか、そんな気がします。自分が取り組んできた産業として農業が残ってほしいですね。
以上、いかがでしたか。
国内で生産されている柑橘の内、わずか0.003%※の「国産グレープフルーツ」。
気が遠くなるような地道な作業で育てる「恋する日向夏」。
どちらも田中さんがチャレンジした賜物として、現在では人気を博しています。「うちのミカンたちは収穫ギリギリまで樹の上で熟成させるから、みずみずしくジューシーで味わい深いんです。味わってもらえると嬉しいですね。」とも仰っていました。
※2019年農林水産省「特産果樹生産出荷実績調査」より
初夏に向けて、柑橘類が少なくなるからこそ、爽やかな柑橘が恋しくなりますね。ぜひ召し上がってみてください。
◎緑の里りょうくんの柑橘は楽天市場で購入いただけます。
- この記事の情報は掲載開始日時点のものとなります。
- 農作物は、季節や天候などにより状況が変わります。
- 掲載内容は予告なく変更されることがありますのでご了承ください。